コロナによる自粛生活と、これからくる年金生活

コロナによる約2ヵ月間の外出自粛生活と、これからくる65歳以降の年金生活、

なんだか同じようなことになるのかなと感じています。

とはいえ、年金生活のことを揶揄してるわけではありません。
それなりに、楽しみにしています。

さて、
コロナ禍による外出自粛生活が、解除されたとはいえ、かつての生活とは言えない状況です。
まさに、新しい生活様式になっていくのでしょう。

そのコロナ生活の中で、感じたことがあります。
外出してはいけない。人と会えない。経済的にも困窮する。病気になることを恐れる。。。
これって、我々(僕は52歳)がこれから迎えるであろう、年金生活とおなじではあるまいか?
行くところは特にない。会う人も特にいない。経済的には年金頼み。身体も衰えてくる。。。

そうか、こんな生活なのか。このままでは、、、。
そんなことを感じていました。

コロナ禍の外出自粛はどこにも行けない生活ですが、
年金おじさんは、どこでも行けるのですが行くところがありません。
平日昼間の図書館などの公共施設、ショッピングモールのフリースペースなど
お気づきでしょうか。年金おじさんで、いっぱいです。

特に、図書館は仮眠スペースとなっています。
僕は、図書館の閲覧スペースを借りることがあるのですが、
周囲には、新聞や本を広げたおじさんがたくさんいます。

もちろん、そこにいてはいけないということではないのですが、
本や新聞を読んでいるわけではなく、寝ているのです。ガァーガァーとイビキをかきながら。
悲しくなりますね。

人と会う回数も減りそうですね。
会社に行く必要がなくなる、仕事がなくなると人と会う回数がめっきり減ります。
友人、知人、同期、同級生などとたまに顔を合わせるくらいになるのではないでしょうか。

何かしらの活動やコミュニティに属していないと、話す相手は家族くらいかも知れません。
おじさんおばさんで、やたらとクレームを入れる人たちもなんらかのつながりが欲しいのでしょう。
自粛警察なんても、そんなメンタリティなのかも知れません。
コロナ禍の外出自粛では、ZOOM飲みなどONLINEでのつながりに、はけ口というか関係性を求めていますね。

お金の問題も同様です。
一部の人にとっては、大幅な収入減となっています。
いままでの収入からは、ガクッと減ってしまい貯金を切り崩していくしかありません。
年金生活になるということも、同じ状況なのでしょう。

とはいえ、ベーシックインカムとして保障されているので、年金の方が100倍安心です。
会社員であれば、年金生活になって大幅な収入減となります。
生活様式を変えなければなりません。もしくは、貯蓄でいままでの生活様式を保っていくか。
マネープランを真剣に考えなければならないのです。

死を考えさせられる機会でもありました。
コロナでなくなった方も大勢いらっしゃいます。志村けんさんがお亡くなりになったことはショックでした。
コロナ禍での外出自粛は、自分自身の死を考える時間にもなりました。
コロナだと、1週間、2週間で死んでしまいます。コロナに罹るとあっという間に死を迎えることになるでしょう。
死を考える時間も十分与えられぬまま、亡くなってしまいます。

でも、年金おじさんは、いつ死ぬかわかりません。

平均余命は80代後半まであります。人によっては100歳を超えるでしょう。
死を意識しながら、20数年から30年生きてしまうのです。
でも、死を意識しながら、生きられた方がよいと僕は考えます。なぜなら、生きる意味を見い出せるから。
死を意識せず、行くところもなく、会う人もおらず、お金もなく、生きていくことが果たして幸せでしょうか?
これは、時間の消費でしかありません。

死を意識するからこそ、あそこに行こう、彼に会おう、死ぬまでに何かしようという気持ちになれるのではないでしょうか。
時間に意味を持たせることができます。生きることの価値を見い出すことができます。
これを、ビジョンと呼んでいます。キャリアビジョン、ライフビジョンですね。

コロナ禍の外出自粛生活は、僕らの65歳以降の生活のリハーサルだったかもしれません。
でも、それは、なぜ生きるのか?を考える時間でもあったのです。
年金生活になると、否が応でも、なぜ生きるのか?を突き付けられるはずです。
それを、考えることを拒否、スルーすると、虚無な毎日になるかも知れません。

今のうちに、自分の65歳以降、70代、80代の生活を考える。
さらには、どんなふうに死んでいきたいのかを考えることで、
今現在の仕事が楽しくなってくるのではないでしょうか。

そんな考える機会提供にしたいと開発したのが、
ミドル・シニア向けの「キャリアマネジメントセミナー」です。
☆最後は宣伝で恐縮です。