2020年4月で、働き始めて30年が経ちました。
1990年、ラストバブルで入社し、あっという間の30年です。
自分自身の30年を、キャリアの専門家風に振り返ると、
自律した、自分でコントロールできたキャリア形成だったと言えるでしょう。
1990年のバブル真っ盛りの時代に、広告会社を志し就活しました。
いま考えると、とっても無謀ですが、広告会社しか受けませんでした。
やりたいことが明確にあったので、それ以外の業界には関心がなかったのです。
バブルで売り手市場だったことも、影響しているでしょう。
その結果、なんとかトヨタのハウスエージェンシーの「南北社」に入社できました。
南北社は、当時社員300名前後、業界20位前後の中堅代理店でしたが、
トヨタのハウスエージェンシーなので、規模の大きな仕事ができたことが
大きなメリットでした。
競合する会社は電通と博報堂、クライアントはトヨタ自動車となれば、
仕事の内容は日本のトップレベルとなります。
最初の仕事は、海外出張だったし、下っ端ではあるけれども、
メインメンバーとして、仕事させてもらえたし、
数億、数十億の扱いのある仕事ばかりだし。
南北社(デルフィス)って、いい会社です。
南北社で、20代から大きな仕事を担当させてもらえたことは、
ホントにラッキーでした。
その後、第一企画(現ADK)へ転職。
先に転職した先輩に声を掛けてもらい、
面接もしないまま?入社しました。
クルマ以外の仕事がやりたいということと、
もっと大きな会社でという単純な上昇志向もあったのでしょう。
会社は変われど、やっていることは、「広告」です。
すんなりと仕事を始めることができました。
サッカー選手の移籍みたいなものですね。
若干、会社のしくみが異なる部分はありますが、
やっているこは、広告戦略の構築と実施なので同じことです。
第一企画/ADKでは、食品会社、通信会社を担当し、
クライアントの合併、新規ブランドの立ち上げなど、
ここでも大きな仕事をさせていただきました。
ホントに感謝です。ありがとうございます。
博報堂との合同チーム「AH Project Team」という、
広告業界ではなかなか経験できないプロジェクトにも
その中心メンバーとして参加でき、刺激的でした。
結果的に、自分の本意ではない仕事はやっていません。
もちろん、あまり面白くない仕事もありましたが、
それはそれで楽しめました。この辺りもラッキーですね。
自分のことなので、客観的にみるのはなかなか難しいのですが、
自分の意思表示を図々しくやってきたことと、
意思表示した分結果を出してきたことが、好きなことをやれてきた要因かも知れません。
思い返せば、どんな仕事でも価値ややりがいを見つけ出すポジティブさ、ノーテンキも持ち合わせていたと感じます。
楽しく仕事をして、多くの人の協力で、いい仕事ができれば、
やりたい仕事は、どんどん実現していきます。
広告という仕事を堪能し、
2007年、いや2005年に人事への異動を希望します。
この続きは、後編で。
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